Retnani sensei

レトナニ先生は1964年4月14日にマランに生まれました。ご両親はイマムスバギョウさんとサラトシさんです。レトナニ先生はひとりっこで、三歳になった時、レトナニ先生の家族はスラバヤへ引越ししました。9歳に、お母さんは亡くなったのでおばさんに育てられました。1986年にシャイフルコリクさんと結婚します。お子さんは4人です。三人は娘、一人は息子。しかし、息子が亡くなられたので、今のお子さんは3人です。一番目のお子さんは(娘)26歳で、今はSTKW 大学で美術の教師をしています。二番目の方は(息子)三月に生まれたあと、亡くなってしまいました。そして、三番目の方は23歳で美容の学士を取得し、今は、大学院で勉強しています。最後の娘は中学生で、13歳です。ご住所はNgagel Jaya 通り39番に住んでいます。
お父さんは先生だったので、レトナニ先生の夢も先生になることでした。お父さんに感銘を受けて、レトナニ先生はお父さんのような仕事をしたいと思っていました。その夢は叶い、今は日本語教育学科の教授としてUNESAで教えています。レトナニ先生の学歴は1969にNgagel Jaya Utara幼稚園に。そして、1975から1978まで、頭が良かったので一年、三年、五年、六年生の4年間だけPucang Jajar I小学校で勉強しました。そして、SPBK I 中学校で勉強しました。1979から1981までTri Murti 高校で勉強しました。その学校で始めて日本語を習いました。一年生から三年生まで日本語を勉強し、レトナニ先生にとって日本語は面白く、勉強している人も少なく、珍しい専門だったので、日本語に興味を持ちました。卒業してからも日本語教育学科のIKIPスラバヤで勉強し続けました。2002年から2004年まで、UNESAの大学院で修士号をとるために日本語を勉強し、2004年から2008年まで、同専門を博士号とるために大学院で学びました。
レトラニ先生はIKIPスラバヤの弁論大会で3位、UNPADで4位でした。それから、1990-1991年に国際交流基金から奨学金をもらい、10ヶ月間日本へ勉強しに行きました。1998-2000年には東京外語大学で教員養成を勉強しに行きました。先生になってから、嬉しいことや大変なことがありました。教え子がいい点を取ったり、成功したりした時は嬉しいです。しかし、先生が授業をしている時に皆がうるさく、集中せず、先生の話を聞かない時は大変です。「全て嬉しい事になるためには嬉しいことを考えなさい」と言うのが、レトナニ先生のモットーです。そして、先生は「成功したければ、学生は規律を守る人にならければならない」と言います。
先生によると、今の日本語学科は学生たちの勉強への興味も向上し、良いそうです。先生の希望は日本語学科がもっともっと良くなり、学生が規律正しい人になるために自立していくことです。
レポーター: AYU MAKHMUDZAH & BART PAULUS & DWI PUTRI HANDAYANI